本人の為にならない「見過ごされて来たこと」っていつか改善のメスが入ることになる
高い広い視点で見た時に、本人の為にならない「見過ごされてきたこと」や「うやむやにになってきたこと」「隠されてきたこと」って、いつか何事かが起こって、破壊と再生が行われます。
自分、周りの人たち、世の人々を見ていていても、誰にでも当てはまるなと感じています。
規模は大きかったり小さかったりそれぞれですが、たいてい予兆やなにかの出来事が起こって、なるべく小さいうちに気づいてというサインがあるはずなんです。
それを拾わずにいたり、見て見ぬふりでずっと来てしまうと、ちょっと大きめの破壊が行われます。
規模が大きければ大きいほど、今までの蓄積物が多かった事を示していると思います。
そして大ごとになってからやっと気づく場合は、そうならないと本人は気づかないことだったということ。
それぞれの人に適したように起こってくる。
そして破壊の後には必ず再生があります。
この世は、絶望だけではないのです。
希望も同時に存在するのです。
ですが、できたらなるべく、少ないうちに短いうちに気づく客観性や向上心は、多少意識して持っておくのが安全に過ごせていいのかなと思います。
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