客観性が無いと、の例
私は職場を変える事が多かったので、色んなタイプの人を見てきました。
その中でも、客観性の無さに驚く事があった事例をご紹介したいと思います。
事例①
年配の女性でした。
その人から見て私は、“施しをしてあげなきゃいけない下の者”と感じたのでしょう。
時々ちょっとしたお裾分けなどいただくことがあったのですが、ある時「これ持っていってちょうだい」とお野菜を持たされたのですが、その次の言葉が「これ美味しくなかったから(うちでは食べないからという意味)」でした。
しかもこれ、言ってる本人に悪気がないのです。
その方の頭の中で私は、生活水準がおそらく自分より下で、あげればなんでも喜ぶ人、というように勝手に創り上げられていたんだろうと思います。
私は別に経済的に困窮していたわけではありませんし、そういう見た目でも、困っていると言ったことも、振る舞いをしたこともありません。
ちょっとびっくりして、思わず「美味しくないんですか(^^;」と言ってしまったのですが、そうしたらその方は自分の発言のまずさに気づき、その日を境に気まずそうにし、私が辞める時まで私には怒ったような態度をしていました。
まったく勝手な話ですよね笑。
発言によって、「何かしてあげたい」の裏に「私が上であなたは下(経済的に)」という思考があるのがこちらには一瞬でわかりました。
「自分はなんて思いやりのある人間だ」と思っていたのに、自分の真の姿に向き合わされて、でもそんな自分を受け入れられなくて、気まずい態度しか取れなくて、という感じだったのでしょう。
だいぶ年上なのになんだか幼いように感じられて、怒りにもならなくて。
そんな出来事でした。
事例②
同僚でした。
私がいないときに、別な同僚達と血液型の話になったそうで、その時にイラッとすることがあったという愚痴を後で聞かされた時がありました。
自分の血液型を、その相手に「△型って○○だよね~」というように悪い意味で言われたそうで、「血液型で決めつけて差別するなんて!むかつく!」と憤っていました。
(その人はいつも感情が先に出るタイプでした)
そしてその直後、「これだから□型は!」と、相手を血液型で貶していました。
私ともう一人の聞き手は無言にならざるを得ませんでした。
これは、よくある例なのではないかと思います。
もう、お二人とも、つっこめないくらいの主観の強さと客観性のなさ!
共通点は、狭い視野と、内観をしてこなかったこと、感情が先に出て、それに自分で振り回される、ということです。
自分の発言がどういう意味を持ち、誰にどのように作用することになるのかを考えるよりも、自分の感情のままに言動を取ってしまうと、誰かを傷つけたり、信頼関係を築けなくなったりしてしまいます。
主観も客観も両方大事ですが、自分以外の人間と関わる以上、客観性はいくらかあるほうが吉だと思います。
人と関わっている中で養われていくものですが、いる環境が良くも悪くも同じままだったり、自分を振り返ったり内観しなくても生きていけてしまうと、自分を良い方に変革させることをしなくなってしまうんですよね。
なので、人生で色々あったり、学ぶ機会があるということは、自分が向上し、充実した人生を送るにはとても有難いことなのだと思います。
あとは、起こった出来事を愚痴のままにするか、糧にするのか、という受け取る姿勢次第です。
今回も読んで下さり、ありがとうございます。
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