「自分らしく」の拡大解釈
自分らしく生きられなかった、もしくは愛されなかった(自分を愛せていなかった)経験があって、その後「自分らしく生きる」に意識が向かったときに、意味を拡大解釈(自分に都合よく解釈)してしまう場合があります。
特に根っこのところで「他人の言う通りにしたくない思い」が強いと
・自分の意見ややり方を押し通す
・人に合わせない、許容しない
・自分がなくなってしまうのではという強迫観念から過剰に自己顕示する
・利己的なことを選ぶ
・感謝をしない
という言動を取ってしまうことがあります。
それが「自分らしくいる」ことに効果的だと思ってしまっているんですね。
※それがアーティストなどの創作や表現に活きる場合もありますが、ここではそういった場合は除きます。
自分ではなく外側に常に意識が向いていて、自分らしくいられているかを外側に求めているので、「ただ自分らしくいるだけでいい」がナチュラルに出来ないんです。
(真から自分を愛せて認めていて「自分らしく」いられたら、特殊な環境でない限り、他人からの承認はそれほどいらないものです)
すると、周りとの摩擦や軋轢が生まれやすくなり、結果、生きづらさを感じてしまうことがあります。
これらは、生まれつき持った生き方の癖だったり、後天的に発達していったものだったりします。
こういったタイプの方の楽に生きるための課題のひとつは、スムーズにいかない事において『我欲を手放していくこと』かもしれません。
自分らしく生きるなのに我を手放すとは?と思うかもしれません。
誰しも我はあって当然なのですが、摩擦や軋轢がある場合、不自然に無理やりに何かをしようとしていることが多いのです。
その場合の我は必要以上にある状態なので、いらない部分が沢山あるのです。
「他人の言う通りにしたくない思い」が強い場合、支配欲やコントロール欲も持っています。
「上か下か」などの二極思考、白黒思考になっているので、それ以外がほとんど考えられないのです。
いらない部分の我を余分に持ってしまうのは、支配の恐怖に備えるため。
(必要と無意識に思ってしまっているため)
そして心の奥では
「無理に我を通しでもしないと保てないような存在の自分」
「認められないと価値がない自分」
「小さく弱い存在の自分」
を作って認識しています。
(それは真実ではなく観念です)
すると、かえってそういった現実があらわれて、ますます我欲を出して悪循環になってしまいます。
そこから抜け出していくには、自分が持っている支配欲・コントロール欲に気づき、認め、手放していくことが大切です。
そして本当の意味で自分への愛を持つこと。
気づかないままや、見て見ぬふりしてしまっていても、向き合わざるを得ない機会が必ずやってきます。
「他人の言う通りにしたくない」が強いと、人を通してでは聞けない(効かない)ため、環境や社会などを通して、不可抗力的にやってくるようです。
その時にちゃんと自分に向き合えば、たとえ時間がかかっても、必ず光がさす方へ向かうことが出来るのです。
一番大切なのはいつも自分です。
その自分が自分らしくいると、コントロールや支配はいらなくなり、色々なことがナチュラルに、衝突や葛藤が少なく、他人とも良い距離感でいられるようになります。
そうして自然と周りや社会ともいい関係ができてきます。
真の意味で自分のためになることは、同時にまわりのためにもなることなのです。
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