何が自分にとって自然で無理がないのかを尊重して生きる
観念は世の中に溢れすぎています。
私も、自分としっかり向き合うようになってからそのことに気づき、自分もたくさんの観念に縛られていたんだなと知りました。
それらの観念を、何の疑問もなくあれもこれも採用して自分を縛ってしまうと、時々エネルギーが上手く循環しなくなる事があります。
・みんなが「こういうものだから」と言っているけど、なんとなく同意したくない
・「○○しないと大変なことになる」というような煽り文句にザワッとする(嫌な感情が出てくる)
・「好かれる(モテる)人はこういう人」という例を見ると自己否定の感情を覚える
というようなことは全て、そう感じた人の人生にとっては不要な観念なのです。
なぜなら、「違和感」や「不快」「不足」を覚える観念は、本当の自分にとって不自然なものであり、良い方向に導いてくれないことがほとんどだからです。
自分の「快」を頻繁に味わっている人からは、幸(さち)のオーラというか、比較的平和で安定した、危険でない雰囲気が出ているはずです。
そういった人が多ければ、人同士の良い循環がどんどん行われていき、世の中に心地よい雰囲気が拡がりやすいのではと思います。
(もし今、現実で快が得にくい状況にいるとしたら、空想でかまわないので、なりたい自分を遠慮なく思い描いて、快に浸る時間をなるべく取ってみてください)
誤解のないように言いたいのですが、観念は人それぞれで、持っていてもいいもの。
ただ、違和感を覚えるものは手放していいのでは、という感じ。
自分にとって自然で無理のない生き方は、平和でクリエイティブな精神を育みやすいです。
すると、いろんな物事を自分に有益になるように捉えられたりします。
結果、自然と良い方向に導かれて行きます。
私はPMDDの改善の途中で、それを実感しました。
※これらのことも、私の観念も少なからず入っているのものなので、違和感を感じたら受け取らなくて平気なんです。
今回も読んで下さり、ありがとうございます。
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