【夜ごはんにマック】から見る、自由と責任と『自分軸』
「夜ごはんにマック」
先日、夜ご飯のメニューが全然浮かばなかったんですが、お買い物は明日だしどうしようかなと考えていたところ、久しぶりにマックのCMを見て、それも良いかなと思っていたんですね。
マックは、あんまり頻繁に食べないのですが、たまに食べたいかもな、という感じで利用します。
夫と子供はわりといつでも歓迎なタイプでして、私次第なんですが、とりあえずどんな感じのメニューがあるか「マック 夜 メニュー」で検索していたら、ちょっと気になる質問が目に入りました。
「夜ご飯にマック 有りか」というような内容をネット上で質問している方が一定数いらっしゃいました。
(家族内でご飯を担当するお母さんの立場からの質問です)
「そうか、他の人にとっては質問することだったりもするのか」というのが私の初めの感想でした。
私とっては、家族がOKを出して、自分も食べたいなら、いつ何を食べても世間からの許可はいらず、自由ではないか?ということなんです。
例えばそれで、作る人も食べる人も笑顔で、体に影響が出るほどでないなら、むしろ平和で幸せで、何も問題ないのではないか?と思うのです。
(経験上、イライラしながらや不満のまま作って、食卓の雰囲気を下げたり、自分を追い込んだりするほうが見直すところだと思います)
例えば、その食卓に並ばない人が何かしら言ってきたとしても、関係はないのです。
(それで何かそのご家庭に不都合があったとしても、それはそのご家庭の問題であり、当人達の解決する問題なのです)
食文化にこだわりがある家庭なら、“その家庭ごとに”お話し合いをするといいと思いますが、他人に決めてもらわなくていいことだと思うんですね。
もし、こういった事でご自分を責めてしまったり、本当はそうしたいけど迷ってしまうという方は、本当にそんなに重要な事かどうか、自分の素直な気持ちを一旦聞いてみて下さい。
そして、大した事じゃないかも、と思えたら、自分で選んでみて下さい。
※ここに、夜ごはんにマックを食卓に並べても家族幸せに生きている私がいますので、ご安心下さい。
自由には責任がついて来ますが、それを自分なりに行う軸がちゃんとあれば、責任は自然に負えるものです。
責任は怖いのもでも、負担になることでもなく、フラットな気持ちで、自由とセットで携えることも可能なものなのです。
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