“かわいそうな私”から抜け出すとき前に進める
足止めする自己憐憫の沼
過去(特に子供の頃)に辛いことがあった場合、「自分は悪くないのにこんなことをされた」「自分は被害者だ」「私はかわいそう」という思いを引きずってしまいがちです。
私もかつてそうで、辛い経験が尾を引いて、その後もしばらく人間関係が苦手でした。
そんな私ですが、諦めずに未来を見ることを選択して、気づきを得て、全てを糧にして、今は嘘のように自分らしく生きられています。
自己憐憫って、一時は浸ってもいいかもしれませんが、ずっと浸かっていると“毒素が出ている沼”みたいに自分を蝕んで抜け出しにくくなっていきます。
そして承認欲求も合わせて、厄介な感情たちも生成されていきます。
(こんなはずじゃないのに、自分はもっとこうされるべき!、満たされてる私を見て欲しい、とか)
そして、なんだかんだで居心地に慣れてしまっているので、本人はそうなっていると気づかずに続けていたりします。
★かつてそうなっていた私が自分でひねり出した気づきは
・自分の人生や感情は、自分で選択することができるし、その責任は自分にある
・本当は何でも自分でクリエイトしていける
・他人を変えようとする前に、自分の観念を変える方が得策である
ということでした
自分次第ということに気づけたんです。
前回の記事にも同じように書きましたが、『進むと決めること』が状況改善の一歩なのです。
でも誰でも最初は怖いし、多くの場合補助が必要なものなので、乗り越えた私がカウンセリングでお手伝いさせていただいてるというわけです!
カウンセリングでは、“抜け出したいけど浸ってしまう。けど何とかしたい!”そんな気持ちに寄り添ってじっくりお聴きしています。
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